大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和43年(オ)63号 判決

上告人

合資会社

今井産業

上告人

今井芳夫

右両名代理人

高橋淳

被上告人

近藤誠

右法定代理人親権者父

近藤昭三

同母

近藤百合子

被上告人

近藤昭三

被上告人

近藤百合子

右三名代理人

寺沢弘

右復代理人

神山岩男

主文

原判決中、上告人ら敗訴部分を破棄し、本件を名古屋高等裁判所へ差し戻す。

理由

上告代理人高橋淳の上告理由第一点について。

原判決の判示するところによると、狭い道路から広い道路に出る車両はその直前に一旦停車しまたは徐行して広い道路の交通の安全を確かめて広い道路に出るべき注意義務があるにかかわらず、被上告人誠が漫然自転車に乗車して本件丁字路に飛び出して本件事故を惹起したことは、同被上告人に重大な過失があるというべきであるが、本件事故発生当時同被上告人は年令八年二月の児童で未だ交通規則を弁識するに足る能力を有しなかつたものと解せられるから、本件事故に基づく損害賠償については、同被上告人の過失をしんしやくしないのを相当とするとして、上告人らからの過失相殺の主張を排斥している。

しかし、民法七二二条二項に定める過失相殺を適用する場合において、被害者たる未成年者の過失をしんしやくするには、未成年者に事理を弁識するに足る知能が具わつていれば足り、行為の責任を弁識するに足る知能が具わつていることを要しないものと解されるところ(最高裁判所大法廷判決昭和三六年(オ)四一二号、同三九年六月二四日民集一八巻五号八五四頁)、昭和四〇年一一月一五日の本件事故当時、自動車交通の激しい都会地などにおいて、丁字路などの狭い道路から広い道路に出るに際しては、自転車などの搭乗者が、徐行一旦停車などの上、広い道路の交通状態を確かめるため注意をすべきことは、一般社会人として、当然要求されているものと解すべきである。

したがつて、本件の事故当時、年令八年二月であつた被上告人誠は、特段の事情のないかぎり、前示の交通事情について事理を弁識するに足る能力があつたものと解されるのを相当とするところ、本件事故現場の交通事情、被上告人誠の性格、学校成績その他交通安全に関する指示の存否など特別の事情の有無について、なんら考慮を払うことなく、前記確定した事実関係からただちに同被上告人に事理を弁識するに足る能力を認めなかつた原判決は、法令の解釈、適用をあやまつた結果、審理不尽の違法をおかしているものというべく、論旨は理由がある。

同第二点について。

第三者の不法行為によつて身体を害された者の両親は、そのために被害者が生命を害された場合にも比肩すべき、または右場合に比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けたときにかぎり、自己の権利として慰藉料を請求できるものと解するのが当裁判所の判例(最高裁判所第三小法廷判決昭和三一年(オ)二一五号、同三三年八月五日民集一二巻一二号一九〇一頁、同第三小法廷判決同四〇年(オ)一〇〇四号、同四二年一月三一日民集二一巻一号六一頁、なお同第三小法廷判決同四〇年(オ)一三〇八号、同四二年六月一三日民集二一巻六号一四四七頁参照)とするところであり、原判決の確定した事実関係では、被上告人昭三、同百合子は、子たる被上告人誠の受傷により多大の精神的苦痛を受けたことは認められるが、いまだ被上告人誠が生命を害された場合にも比肩すべきかまたは右場合に比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けたものとは認め難く、したがつて、原判決がその確定した事実関係から、ただちに被上告人昭三、同百合子に対し、慰藉料請求権があるとしたのは、失当というべく、原審はすべからく被上告人誠の後遺症の有無、現在残つている傷害の程度その他の事情を判断したうえで、被上告人昭三、同百合子の慰藉料請求権の有無を決すべきであつたのである従つて、この点で原判決は審理不尽、理由不備のそしりを免れない。

よつて、原判決中、上告人ら敗訴部分を破棄して、これを原審に差戻すこととし、民訴法四〇七条により、裁判官全員の一致で、主文のとおり、判決する。

(松田二郎 入江俊郎 長部謹吾 岩田誠 大隅健一郎)

上告代理人高橋淳の上告理由

原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らから法令違背がある。

第一点 原判決は、上告人等の過失相殺の主張に対して、害者たる被上告人誠が本件事故発生当時、年令八年二月の児童で、未だ交通規則を弁識するに足る能力を有していなかつたものと解せられるから、本件事故に基く損害賠償については、同人の過失はこれを斟酌しないのを相当する旨を判示しているが、これは民法第七二二条第二項の解釈を誤つているものである。

即ち、民法第七二二条第二項によつて、被害者たる未成年者の過失を斟酌する場合において、未成年者に事理を弁識するに足る知能を具えておれば足り、未成年者に対し不法行為責任を負わせる場合のごとく、行為の責任を弁識するに足る知能が具つていることを要しないことは、御庁昭和三六年(オ)第四一二号昭和三九年六月二四日大法廷判決によつて明確にされたのである。そして同判決は、満八才余の小学校二年男子につき、交通の危険の認識があつたものと推定した当該原判決を支持したのである。まして右の場合において未成年者たる被害者には交通規則を弁識するに足る能力などは何等必要としないのである。

しかるに原判決は、前述のごとく判示しさらに参考判例として御庁がなした二例の裁判例を指摘した点を考えると、民法第七二二条第二項によつて被害者たる未成年者の過失を斟酌するには、未成年者に交通規則を弁識するに足る能力を有すべきであると解釈していると解す他はなく、これは、前述した御庁の大法廷の判決と相反するものである。仮に「交通規則を弁識するに足る能力」を「行為の責任を弁識するに足る能力」と解しても前述した御庁の大法廷の判決と相反することには変らないのである。

よつて原判決は御庁の判決と相反して民法第七二二条第二項の解釈を誤り、上告人等の過失相殺の主張を排斥したのであるから、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背があるものといわざるを得ない。

第二点 原判決は、不法行為により身体を害された被害者の父母は、その子の死亡したときに比肩しうべき精神上の苦痛を受けた場合には、自己の権利として加害者に対し慰藉料を請求し得るものと解しながら、その子が受傷の結果死に至る危険にさらされ、ために父母が我が子の死を覚悟せざるを得ないような危局に直面した場合にも父母に慰藉料請求権を与えるべきである旨を判示しているが、これは民法第七〇九条、同法第七一〇条の解釈を誤つたものである。

不法行為によつて身体を害された子の父母が自己の権利として慰藉料を請求し得るのは、御庁の判決例によると、子が生命を害されたときにも比肩すべき精神上の苦痛を受けた場合(御庁昭和三一年(オ)第二一五号昭和三三年八月五日第二小法廷判決)とか、父母の精神的苦痛が子が死亡した場合にうけるべき精神的苦痛に比し必ずしも著しく劣つていない場合(御庁昭和三八年(オ)第三七三号昭和三九年一月二四日第二小法廷判決、御庁昭和四〇年(オ)第一〇〇四号昭和四二年一月三一日第三小法廷判決)に限られているのである。そしてこの場合の子の具体的な身体傷害の程度は、女子については外貌に著しい醜状を遺したり、性器の形状が正常でなくなつてしまつたり、又男子についても、長期間の入院、一〇回にも及ぶ手術のあげく、下腹部に醜状瘢痕を遺し、機能に著しい障害が遺された等のように、要するに著しく身体の形状を害され、それが後遺症となつて、そのため断えず子のみならず父母も精神的苦痛を味わざるを得ず、しかも子の将来について、非常に大きな不安を残すような場合である。

従つて、原判決が認定した被上告人誠の傷害の程度では、父母たる被上告人昭三、同百合子において、一時被上告人誠の死を覚悟したとしても、同人の入院期間もさして長くなく、病状も順調に快復し、特段の後遺症もなく、又将来についても不安もなく、被上告人昭三、同百合子の精神的苦痛が、子の生命・害されたときにも比肩し得べきものでなく、子の死亡した場合にうけるべき精神的苦痛に比し必しずも著しく劣つていないということは出来ないのである。

よつて本件において、被上告人昭三、百合子の慰藉料請求権の存在を否定されるべきところ、原判決は、御庁の諸判決と相反した判示をなして民法第七〇九条、同法七一〇条の解釈を誤つたものである。

そして右解釈の誤は、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背というべきである。

〈参考・原審判決理由(抄)〉

そこで被控訴人誠の請求する慰釈料について検討する。同被控訴人が当時八年二月の児童であつたことは前記認定のとおりであり、〈証拠〉を綜合すれば、被控訴人誠は前記頭蓋骨骨折、脳挫傷等の傷害により一時生死の境をさまよい、約二週間意識不明の状態で、その間麻酔からさめると狂燥状態になつて、精神上および肉体上多大の苦痛を味わい、また前記右大腿挫創の傷害の結果右膝の内側に大きな縫合手術の痕跡をとどめるに至つたが、反面控訴人今井芳夫は同被控訴人の入院中屡々同被控訴人を見舞い、自ら進んで被控訴人のため家政婦(時には同時に二名)を雇い入れ、その費用および同被控訴人の入院費および治療費を支弁する等、誠意をもつて被控訴人らに対し陳謝の意を表した事実を認めることができ、右の諸事実および本件各証拠上認められるその他の事情を考慮するときは、被控訴人誠の前記受傷は金三〇万円をもつて慰藉されるものと認めるのを相当とする。〈中略〉

最後に被控訴人昭三および同百合子の慰藉料の請求につき判断する。一般に不法行為により身体を害された被害者の父母は、その子の死亡したときに比肩しうべき精神上の苦痛を受けた場合には、自己の権利として加害者に対し慰藉料を請求しうるものと解すべきであるところ、かかる慰藉料請求権は、ただにその子が受傷により以後の一生に重大な影響を与えるべき後遺症を残した場合のみに限らず、その子が受傷の結果死に至る危険にさらされ、ために父母が我が子の死を覚悟せざるを得ないような危局に直面した場合においては、子の死亡は父母に対し時に自己の死亡と同様の精神的打撃を与えるものであり、かかる精神的打撃は、かりにその子が、その後幸にして全治したとしても、決して完全に回復するものではあり得ないからである。これを本件についてみると、被控訴人の本件事故による受傷の部位および程度は前記認定のとおりであるところ、当審における被控訴人昭三および同百合子各本人尋問の結果によれば、被控訴人誠の両親である右両名は、右誠の受傷後四日間不眠の看護を続け、四日目には脈博が微弱となつたため、その死を覚悟して葬式の準備にとりかかつたが、幸いに誠はその後快方に向い、受傷後約二週間で漸く意識をとり戻したことを認めることができるのであつて、その間、特に最初の四日間における右両名の精神的苦痛は、まさに子を亡くした親のそれにちかいものであつたということができる。

したがつて被控訴人昭三および同百合子は控訴人らに対し本件事故による固有の権利として慰藉料請求権を有するものというべきであり、上記認定の諸事実および本件全証拠により認めうる諸般の事情を考慮するときは、右慰藉料額は被控訴人近藤昭三同百合子につき各金一〇万円をもつて相当とする。〈後略〉

(広島高裁昭和四二年一〇月一二日判決)

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